日本人と障子張り

自宅の障子張り替えシリーズが一段落しての所感。

一昔前は、サン一列につき一枚ずつ丁寧に貼っていったもんだけど、今は全面一枚張りが主流。

両方メリットデメリットがあるんだけど、一枚張りはある意味大雑把に全体像を把握しながらやれるので、男向きのような。

小張にしていくと、サン一枚一枚をピンと張っていく作業の積み重ねなので、ある意味女性的優しさが必要。

小張に張っていくと、大失敗はないし軌道修正を効かせやすい。これぞ日本の知恵って感じ。(アメリカ人は障子張りむいてないよなあ!)

また、木枠に有りがちな曲がりなんかにも対応できる。

今、一枚張りが主流なのは手間の問題なのだろうか、それとも日本人の手先の器用さが失われているからなのだろうか。

障子張りくらい集中して仕上げたいもんですね。これぞ日本人の素養。

今回はのり張りとアイロン張りの両方試しました。結論、のり張りはクセになります。でも習熟にそれなりの時間が。(日本人失格?)

来年はパリッと貼るぞ❗

スクラップ&ビルド

昨日の成功体験を客体視するのは難しいところ。それにも増して難しいのが、自己正当化をいかに抑え込んでの間違えと向き合うか、これだ。

齢を重ねるにつれ、自己正当化が上手になってくる。人のせいにするのが上手くなる。そこをゼロから考える姿勢。これがなくなるときっと老いが始まるのだろう、常に知的な新陳代謝に心がけたいもの。

昔の大経営者はどんな人の話にも耳を傾けて、吸収する姿勢を持っていたと云います。

これって、本質的に自分を客体視することにも繋がる訳で。

成功したためしのない自分としては吸収するだけですな?

生きている日本史ー完結編

高木健夫の渾身の作、大学初任給一万円の頃に290円の作品(今の6,000円位か?)が20万部出たんだから、とんでもないベストセラーだと思います。
最初に朝日の荒垣さんのところに話が行ったのを、彼が断り、読売の高木を推薦したのがことの始まりらしい。いい時代だよなあ。
でも、この作品を通して諸々な人たちとの知見が拡がりその後の人生の深みが増したんだろうと想うと感慨深い。仕事を通じて人生が深まるって理想的だと思います。我が一族の誇りであり、僕自身も生涯背中を追いかけるつもり。(背中は見えるのだろうか?)

この三部作の第一作で一番腹に落ちたのが、原始的武士道。後年になって創作された感のある武士道ではなく、人間味溢れる日和見主義と期を窺うさとさ、を本質と看破している点。
また、武家政治も安定し出すと女性の力が強まり結果的に混乱を引き起こすこと。(母性による若年将軍支配)
論破に合理性があり、とても腹に落ちる。NHKの大河ドラマもこのくらいの翻案があるととてもいいけど。

ワークバランス

歳上の方とのビジネス上の付き合いは、結構難しい。相手のプライドをくすぐりつつ、組織として、ビジネスとしての落としどころをいかに見つけるか?

それを、相手主導で意思決定がなされたように持っていく、(ここは結構重要なのかもしれません。)長期的な付き合いが必要な場合は特にここがミソ。

そればっかりやってると、下手に転ぶと自分で意思決定できないビジネスマンの一丁あがり‼になってしまうので注意が必要なのだが。

自分の中でバランスを崩さないためには、やっぱり休みかな?それとも新たな学習かな?結論がでないな…。

考える葦

言葉とは、人間に与えられた一種の特権だと思う今日この頃。この特権の活かし方は人それぞれである訳です。生まれ持った能力による処も多々あるのだろうな、と感じるようにはなってきている今日この頃です。

でも、でも、でも、それを言い訳にするとすべて終わるわけで。得手不得手を踏まえてそれをどうカバーするか?自分でどうするか、相手にどうしむけるか、その工夫がコミュニケーションだと思います。それが人間として生まれたわれわれの運命…なのかな。

で、この意思伝達の手段は結構沢山あります。言葉だけでは必ずしもないけれども、ここではそれに限定して。

口頭で伝えるにしてもTPOを使い分ける訳です。また声のトーンを使い分けることもします。…まあ、演技力ですね。これは歳をとると共に研きがかかる…はず…。

口頭が苦手な場合は資料で、文字で、図解で、カバーします。

で、ここで工夫が必要かと。私口下手派の人がよくやるのが、最終成果物ですってやつを打ち合わせ当日にドーンとやるパターン。これは相手が一番辛い。内容も、トホホ、のことが多い。

コミュニケーションって、相手に心の準備を如何にさせるかってコトなんで、少しずつ確認作業をするのが基本かなと。

言葉って、読んで字のごとく言の葉っぱなんで、葉っぱはちゃんと剪定しましょう。剪定が要らない人は世の中に存在しません。

で、デカルトの言葉に行き着きました。考える葦もTPOを大切に‼…お粗末でした。

続生きている日本史

ジャーナリスト高木健夫の渾身のベストセラー。

家康の天才的都市計画と鉱山開発維持能力を描写。(戦国を鉱山獲得争いの観点から描写するところは旬悦。)

食い扶持をとりくずしきった家光から座敷牢将軍綱吉を筆致厳しく断罪。その裏でうごめく大奥の女たちの恐ろしさを深く抉っている。

こう読み進めると、日本人は意図的なアンバランスをバネにして永らえてきたかのように思えてしまう。悪政による抑圧→開放、の繰返し。社会的な弱者の意図的配置(農民)→開放(明治)。etc…。

現在も、民主党政権→開放(自民党)。若者の抑圧はきっといつか開放されると信じたいけど。

続々生きている日本史

ジャーナリスト高木健夫の脂に乗り切った筆致を週末に堪能。

出島にかかる考察(ポルトガル、東インド会社からイギリス勃興まで)と江戸幕府のバランス感覚の喪失感を軽妙に描写する。

大きなフレームを描きながら、次の瞬間日常しせんの人々の姿を捉える。僕にとってはとっても魅力的に映ります。

幕末のロシアの思惑の蠢きと江戸幕府の外交失政。遺留民の苦闘を切り取る筆致が、その後の開国の功労者としてのジョン万次郎(中浜万次郎)の姿を捉える。ペルリ(ペリー)の実像も興味深い。

いい本です。デジタル復刻しませんか?売れまっせアマゾンさん楽天さん。

生きている日本史

ジャーナリスト高木健夫の渾身のベストセラー。

今は去ること50年前の三部作なのだが、(贔屓の引きだおしはあるにせよ)ちっとも旧くない。歴史を気鋭の新聞記者がエスプリたっぷりに記事にしたてあげている。文章の力と視点の入れ換えの巧みさ。

深い取材を感じながら読み込んでいます。圧倒されながら、読み込んでいます。背中が見えるように…なるのかな?

リスク管理とJSOX

日本では、バブル崩壊後の経済的停滞を失われた何とか、と呼ぶことが多い。

何がそうさせたか、それは監査法人の肥大化に原因の一部があるのではないか?

人為的に公認会計士の数を増やすべく試験制度をいじっって監査の質を落とし続けているように思える。

数を増やす際に監査法人内部の人事機能、教育訓練機能に同時に手をつけていないのではないか。漏れ聞くところではそう思える。

会計ビックバンに対応するがためにUSCPAの採用も増やしている。当時の状況を聞くと、そこでも人事機能、教育訓練機能に手をつけていない。

法人内の多様性が高まっている時に監査の質を維持する手段がマニュアルだけでは。

それにダメ押ししたのが、JSOXかと。もともとSOXは一部の企業にしか適用していないもの、それを全上場企業に適用する愚。また、ビジネス感覚のない会計士に実質的な構築を担わせる愚。

これらが、不必要なリスク管理を発生させた元凶ではないか。女々しいリスク判断、これが経済活動を減退させる。

ビジネスってなんだろう

この頃、ニュースネタ(例の医療ヴェンチャーの話とか)や身の回りの出来事で、ビジネスって何だろうって改めて思慮することが多い。

マーケティングにしても営業力にしても、相手の声や顧客の思いに寄り添わなくなった時点で終わるんだろうな、と。

きっと、自分自身も、そこだけは最低限押さえないと、と改めて胆に命ずる今日この頃です。

誰にでも、踏み外しそうになるタイミングはある。そこを気がつくのは人との交わりの質量の積み重ねに尽きるんじゃないかな。

コンピューターがどんなに進歩して、アルゴリズムで99%カバーできても、そこの部分は替えが利かない。結局、人間として磨きあげなきゃいけないのは、人と交わる力すなわち聞く耳と実行する意思だとつくずく思う。

これがビジネスの根源…かな?

謎は深まるばかり。